royal palace rhapsody



『王室の楽団に入ってみる気はない?』

そう言って彼女は現れた。

どこにでもいるような赤茶の髪をしたどこにでもいるような普通の女の子。

けれどキラキラと輝いた瞳がとても印象的な。

おおよそ「女の子」には敬遠されがちなリョウに物怖じもせずに話しかけてきた変わり者の彼女は ――















午後の太陽のような温かい光で照らされた音楽サロンの片隅でリョウはぼんやりと立っていた。

サロンにはシミズの奏でているチェロの音が包み込むように広がって響いている。

貴族の館に音楽を聴く為のサロンがあるのは珍しいことではないが、ここは破格だ。

なにせ、この国の王城の一角である。

広さ、音響ともに申し分のない作りなのはこの国の王が無類の音楽好きであるからだろう。

そしてその王様の肝いりで集められた王室楽団の一員であるリョウにとってはここはメインの仕事場でもある。

ピアノを担当するリョウは他の団員の伴奏などに回ることも多い為、滅多にコンサート中に手が空くことはないのだが、今はシミズの無伴奏演奏なので観客をしていられた。

(相変わらずあいつの音は正確で繊細だよな。)

情熱的で感情的と称される演奏をするリョウとは正反対に近いシミズの音を聴きながら、なんとはなしに視線が滑った。

そしてサロンの席の最前列に近い場所にある色素の薄い髪に目をとめた所で、自分でもわかるほど顔を歪めてしまった。

(・・・・なんであんな奴をわざわざ捜してんだ、俺。)

演奏中なので出そうになった舌打ちはなんとか我慢した。

しかし同じ楽団員たちからも困った顔で犬猿の仲と称されている男を捜してしまった敗北感がのこる。

ツキモリ公爵家の子息、レン・・・・シミズと近い正確で繊細な音色を持つ男。

今も微動だにせずシミズの演奏に聴き入っているレンに対して、リョウの中には複雑な感情が在った。

それは音楽的に完全に逆方向に互いが在ることが一つと、そして・・・・。

再びリョウの視線が動いた。

レンから横へ。

サロンの最前列にある王室の席へと滑った視線は目当ての後ろ姿を・・・・見つけられなかった。

(?いない?)

リョウが思わず首を捻った、その時。

「・・・・リョウ?」

「!?」

不意に横合いから囁く声をかけられて、リョウは危うく叫びそうになった。

サロンの最後列の壁際という目立たない場所にいたのが幸いして他の人間はまったく気にした様子もなく、リョウはほっとする。

そして諸悪の根元を睨み付けた。

もちろん、そんな事をしても彼女にはまったく通じないとわかっていて。

案の定、いつの間にかすぐ横に立っていた少女はリョウに睨まれてもまったく動じた様子もなく笑った。

どこにでもいそうな赤茶の髪の、どこにでもいるような普通の少女。

けれど身につけているドレスは今、サロン会場にいる貴族に名を連ねる者の誰よりも位の高い存在であるに相応しいものだった。

そう、この国の王女であるカホコに相応しい。

「おまえなあ、こんな所で何してんだ。」

胸に走った痛みを誤魔化すようにリョウはあえて乱暴な口調で言った。

すると今度は彼女が不満そうにリョウを睨み付けてくる。

「それを言うならリョウもでしょ?なんで楽団員用の席を用意してるのに、こんなところにいるのよ。」

そう言われてリョウは曖昧に口許を歪めた。

確かに王室楽団員であるリョウにはサロンの中央端の方に席が用意されていた。

今も見ればヒハラとユノキの姿が見える。

けれどその周りにいるのは。

「・・・・俺が座れる席じゃねえよ。」

囁くような小さな声だったのに、サロンが静かだったせいかカホコは驚いたような顔をした。

「貴族の席、とか言うつもり?リョウがそんな細かい事を気にするなんて・・・・」

「お前、俺をなんだと」

「ええ?だってリョウってば最初から貴族に対して謙るなんてごめんだって言ってたじゃない。」

ますます驚いたように言われてリョウは苦笑した。

「今だって他の貴族連中に媚びるだの謙るだのはごめんだぜ。」

「だったら席に居ればいいじゃない。」

なんで?とばかりに首を捻られてリョウは気づかれないようにため息をついた。

別に貴族でもないリョウやシミズが位序列の貴族の席割りの中で中盤の席に座るから、周りからの視線が痛いとかそんな事はもとより気にしていない。

庶民であるリョウやシミズが王立楽団員として王宮に上がるという事は、そんな些細な事は気にしていられないのだ。

だからリョウがサロンで用意された席に座らないのは周りの貴族がどうといった問題ではなく。

そう思いながらリョウは改めて目の前にいる頭一つ分小さいカホコに目を落とした。

不思議そうに見上げてくるその瞳は出会った頃からなにも変わっていない。

好奇心旺盛でクルクルと表情が変わる、まるで彼女の奏でる音色のように。

(絶世の美女とか、ものすごく気位が高いとか、そんな女だったらよかったのにな。)

この国の王女がそんな女だったらよかった。

それなら・・・・心を惹かれることなど無かったのに。

そもそも出会いもしなかっただろう。

王城を抜け出して当たり前の顔で庶民に混ざってリョウをスカウトに来るような王女でなかったら。

けれど、出会ってしまった。

そして惹かれてしまった。

共に同じ音楽を奏でて、時には戦友のように、時には恋人のように音色で語り合って、練習の合間には同じように話をして笑ってくれる彼女に。

王族だなんて事を感じさせないその気さくさと明るさに触れ、音楽を通して知り合えてよかったなんて思ったのはもう大分昔の話。

彼女に惹かれていると自覚した途端、リョウの世界は絶望的なものに変わった。

ふっと、リョウは目の前にいるカホコを視線でなぞる。

どこにでもいそうな少女だと思った。

手を伸ばせば届きそうな、そんな距離で笑ってくれる少女だと。

けれど、もう知っている。

彼女はこの国の王女で天地がひっくり返ってもリョウには手の届かない存在であることを。

それでもカホコは同じ楽団員としてリョウに笑いかけて、こうやって気にかけてくれるのだ。

そのたびに伸ばした手が届くのではないかという錯覚を覚え、そのたびに打ちのめされる。

だからサロンで用意された席に座るのも止めた。

あんな席に座っていたら近すぎてしまうから。

「・・・・それなのに、無にしてくれるしなあ。」

「え?何?」

思わず恨みがましく呟いた言葉が聞こえなかったのか、カホコが少し身を乗り出してきた。

不意に縮まった距離に、とくんっと一つ鼓動が跳ねる。

(・・・・だから、やめてくれ・・・・)

近くに来ないでくれ、期待させないで。

触れたいと、思わせないで。

そう心は悲鳴をあげるのに、同じ心が触れられるのではないかと甘く囁く。

目の前で揺れる赤茶の髪に、キラキラと輝く瞳に、触れたい、と。

ほとんど無意識にリョウはカホコに手を伸ばし ――
















―― その時、音が途切れた

観客の賛美の拍手がサロンを包み、カホコが舞台へと振り返る

・・・・一瞬、揺れた髪がリョウの指先を掠めた事など知ることもなく















「ひ、姫様〜!」

泣きそうな顔で駆け寄ってきたのはカホコ付きの侍女であるショウコだ。

「あ、あの、どちらにいらっしゃったのかと思いました。」

「ああ、ごめんね。」

ちょっとバツが悪そうにカホコはショウコに笑いかける。

その笑顔に困った顔でショウコは小さくため息をついた。

「い、いえ、慣れましたから・・・・」

「うわ、ごめんなさい!ほんとに。」

「はい。それよりも姫様、パーティーのお支度が」

「あ!そうだった!」

慌てたようにカホコが叫んで、それからリョウの方を振り返った。

「それじゃ、私行くね。」

「・・・・ああ」

リョウが頷くとカホコはくるりと身を翻す。

コンサートが終わりざわめくサロンの中を、貴族の波を抜けて最前列の方へ。

遠ざかっていくその背中に胸が締め付けられる。

届くはずもない本来の距離へと離れていくカホコの背中から、それでも目を離せない。

その視線の先で最前列にたどりついたカホコに、レンが近づいていくのが見えた。

二言三言話してレンが呆れたような顔をしてカホコに肘を差し出す。

その手に当たり前のようにカホコが手をかけて。

「・・・・・・・・」

くるりとリョウは踵を返した。

これ以上見たくもなかったし見ていられるはずもなかった。

大股でサロンを出て自分たちに与えられた王城の一角の練習室へと向かう。

逃げるように入った練習室には当たり前だが誰も居なかった。

他の貴族位をもつ団員達はこの後行われるパーティーに出席するだろうし、シミズは賛美する観客達に囲まれて暫く戻っては来られないだろう。

どんっと音を立てて壁に背を預けリョウは天井を仰いだ。

苦しい、痛いと心が悲鳴を上げる。

けして自分の力ではどうにもできない絶望的な恋。

けれどどれほど苦しくても、どれほど痛くてもこの想いを捨てたいと思わないところが最も絶望的だった。

「・・・・カホコ・・・・」

人前ではけして口に出来ない彼女の名は甘く甘く唇で溶ける。

そしてさっきカホコの髪が掠めた右手を強く強く握りしめて。

リョウは目を閉じた ――















ピピピピッピピピピッ

―― 目を開けた土浦梁太郎はほぼ機械的にベッドサイドで鳴り続ける目覚まし時計を止めて。

「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜」

朝もはよからベッドの上で頭を抱えたのだった。















「おはよー!・・・・って、土浦君、どうしたの?」

いつもの朝の交差点で、声をかけられた途端に過剰反応しすぎたか後ろから声をかけた格好の香穂子が驚いた顔をしていて、土浦は苦笑した。

「あー、悪い。ちょっとな。」

「?寝不足?」

不思議そうにしながら隣に並んで香穂子が歩き出す。

真横にその存在を感じてなんだか妙な気分になった。

「いや、別に寝不足じゃないんだが・・・・」

「悪い夢でもみた?」

からかうように言われて土浦は口許を引きつらせた。

悪い夢かと言われれば悪い夢なのだが、なんというか。

「なあ、お前の夢って伝染るのか?」

「はあ?」

思わず呟いた土浦に香穂子が訳が分からないというように首を傾げる。

まあ、そうだろう。

(俺だって今朝まで香穂の夢の話なんて忘れてたしなあ。)

春のセレクションが終わってすぐの頃、図書館で勉強する土浦の前で眠りこけた香穂子がやたら幸せそうな顔をしていたから聴いてみたことがあったのだ。

何の夢を見たのか、と。

答えはセレクションメンバーで王宮楽団を作る夢。

その時はなんのファンタジーだと笑い飛ばした覚えがある。

(・・・・それをまさか俺が夢にみるか。)

しかも香穂子の夢とは違ってこっちは軽々とは口に出せない位の悲恋話になっていたなんて。

「・・・・はああ」

深々とため息をついた土浦に香穂子がぎょっとしたように目を見張った。

「ええ!?そ、そんなに悪い夢だったの?」

「悪いつーか・・・・悪いか。」

結局肯定しておくことに落ち着いた土浦と反対に香穂子は「土浦君がため息をつくほどの悪夢なんて・・・・」などとぼやいているが、それは無視しておくことにした。

かわりに、土浦は無造作に手を伸ばした。

香穂子の頭へ。

夢の中でリョウができなかった事をするように。

「わっ!?」

いきなり頭をぐしゃぐしゃかき混ぜられた香穂子が驚いた声を上げるのになんだか安心した。

「ちょっ!朝からひどい〜!」

「お前が夢を伝染したせいだ。これくらい我慢しろ。」

「??だからなにそれ?」

くしゃくしゃにされた髪を目を白黒させながらなおしている香穂子を見ながら土浦は笑った。

―― 大丈夫、触れられる・・・・

当たり前のように隣にいられて、躊躇いもなく触れる事が出来る。

(・・・って、当たり前だよな。)

思わず自分の思考に突っ込みを入れて土浦は頭を掻いた。

そして照れ隠し代わりに少し早足で歩き出す。

「ほら、さっさと行かないと遅刻だぜ?」

「え、ちょっと待ってよ!」

慌てて追いかけてくる香穂子の気配がくすぐったい。

追いついてきたら遅刻しそう、を理由に手ぐらいつないでみようか。

そうしたら現在進行形の恋敵達への牽制にもなる。

そんな事を頭の片隅で考えながら、土浦は今朝の夢を溶かすように大きく朝の空気を吸い込んだのだった。





















                                               〜 Fin 〜

















― あとがき ―
やっちゃった、身分差ラブネタ(笑)
けど、こういう話が書きたいと言ったら友人に「あの王様(※リリ)なら別によいぞ〜とか言いそうだよね」と言われました。
確かにな!!